2014年9月26日金曜日

運転免許。そして母の愛。

こんにちはー(●´ω`●)


あたしが亜米利加に来たのが、かれこれ半年前のことです。

ここカリフォルニアに限らず、アメリカは車社会なわけで、そしてこのおうちのオペアとして、運転は必須事項なわけで、

なのでもちろん国際免許をもらってこっちに来たわけで。(「拝啓、父上様」調で)

で、いろいろあって、今日、やっと、ドライビングテストに行けて、合格しましたw

こっち来た次の週にソノマまで行った話は、誰にしても超驚かれるあたしの持ちネタなのですが、それが結構、自信につながってたりもするんですが、

いやー緊張したした!!((+_+)) 同じ年頃のお姉ちゃんが試験官やったのですが、心臓の音が聞こえるんちゃうか!と思うくらいドキがムネムネしてました。


たぶんギリギリで合格したんちゃうかな?まー結果がよければ過程なんてどうでもいいので、おk!

ESLで知り合った、Redwood city在住のお姉さまについてきてもらって、試験後におうちにもお邪魔させてもらいました。楽しかった!!


ちなみに、Redwood cityのDMVは結構厳しめらしくて内心ビビりまくりスティやったのですが、これでもう一安心!


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ところで、ファミリーが、今日から月曜日までおうちにいないので、あたし一人です。

最近、結構つらたんやったので、よい息抜きになると思いまつ(*´ω`)

今日は朝5時に起きて、空港まで行って、6時半前に帰ってきて、いろいろ仕事して、8時半ごろにDMVに行って、YさんやMちゃんに会って、14時ごろにホスト次女の学校に行って、そして15字ごろに帰宅したのですが、

玄関に、オトドケモノがありました。
あたしの実母が、「月曜日の荷物送ったよ」って言ったので、それや!と思って、すぐに開けようの思ったけど、先に子供のベッドメイキングと衣類の片づけと掃除を済ませようと思いとりかかったのですが、

やはり待ちきれずに開けてみたくなって(←いちいちめんどくさいあたし)、開けました。

頼んどいた洋服数着と、日焼け止め類、ホストキッズへのお土産(日本のキッズたちを魅了している妖怪ウォッチのいろいろと、夜店であまった消しゴムとか)、そして、手紙が入ってました。

手紙。


一通はあたし宛

もう一通は、ホストママ宛でした。

あたし宛の方には、まぁいつも通りの母からのメッセージ。
「離れて暮す娘に宛てた手紙」の見本みたいなやつ(←)

そして、ホストママ宛のを、うちの母のことやから、いらんこと書いてる可能性がある!
そしてそんなものをホストママに渡せない!ハズい!と思い、チェックしました。

からの

( ;∀;)


号泣


でございました。


アラサーも、ホスト次女(5歳)みたいに「うえーんうえーん」って泣くんやなーって思いました←


ほんまに、あたしは27年間、いままでずっと、プライスレスの愛に包まれて、育てられて、守られてきたんやな、って。

だって、歩いて20分くらいで小学校に行けるのに、ちょっと雨が降っただけで車で送り迎えしてもらってたのは、うちら兄弟くらいやったし、
お弁当だって、兄弟みんな、それぞれ好きなおかずを毎日入れてくれてたし、
レオタード(あれ実は結構高いのよね!)も2着もってるのはあたしだけやったし(しかもオーダーメイド)、



実父は表現しないけど、誰よりもあたしを理解してるし、心配してるのは、離れててもわかるくらい、あたしも彼も理解して心配して、とにかく以心伝心なのです。


うーん、あたしの両親の両親は、韓国で生まれ育って、青年期に、日本に渡ってきた人たちなので、ベースはまるっきり韓国人

しかも、両家とも韓国でいう貴族階級にあたる両班の家系なので、
そんな彼らに、うちの両親は超厳しく育てられたと思うのです。

母方のおじいちゃんは母が高校生の時に亡くなったけど、韓国では米屋やったって聞いたから裕福やったようで、日本に来てからも休みの時は漢詩を書いたり(これはちょっとウケたw)、おばあちゃんがちょっと気分が高揚して踊ったら「なんて下品な!そんなことはキーセン(芸者サン的な)がすることだ!」って怒っちゃうくらいクソ厳格な人やったらしいし、

あたしの唯一のおばあちゃんも、やんごとなきおうちの女の子やったので(おばあちゃんの家は学問を教える家系やった様子)、

そんな二人が日本に来て、言葉もわからなくて、何もわからなくて、そもそも二人とも「働く」ということに抵抗があったから、でも食べていくにはどんな仕事でもしないといけなくて。すっごいプライドが傷ついたと思うのね。当時は差別もすごかったやろうし。

実母は兄弟が多くて、両親は働きづめやったので、きっと寂しい幼少期を送ったのやと推測してみます。兄弟では下から2番目なので姉たちに育てられた感があるようで、そして父親が早くに亡くなったから高校を出たらすぐに働いて、そしてうちの実父と結婚したのですが。


なんやろー。そんな環境で育ったから、うちの実母は余計にあたしたち兄弟に対する愛情が深いし、心配性なのかな?とか考えたりもします。



実父の家は、また違う理由でややこしくて、彼はすっごい壮絶な幼少~青年期を過ごして、その反動で、あたしたち3兄弟に対する愛情が深くて広いのやと思いますが。


会いたいなー


早く日本に帰って、親孝行したいなー



頑張らないと。





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